聖人というのは、会ったこともない過去の人たちなのですが、場合によってはその人にとってとても身近である場合があります。『梁塵秘抄』の有名な、「仏は常に在せども 現ならぬぞあはれなる 人の音せぬ暁に 仄かに夢に見えた まふ 」というのにとても近いと思います。
さて、そんな人のひとり、カプチン会の最初の聖人となった「カンタリーチェの聖フェリクス」。
聖人伝をざーっと通読して一番心に残る人がこの人でした。
中部イタリアの寒村で牧童をしていた彼は、多分、ほとんど学問もなく、非識字者だったのでしょう。羊の番をしながら、聖母に祈る生活。そんな生活をしていた彼がどうして聖フランチェスコ会に入ることを考えたのか、詳しいことは知りません。ともかくフェリクスはド田舎の牧童生活から大都会ローマで托鉢をする貧しき小さな兄弟となりました。
バカの一つ覚えのように「デオ・グラチアス(神に感謝)」と繰り返すので、「デオ・グラチアス修道士」というふうに呼ばれていた人。子供たちにバカにされてもにこにこ笑っている人。一方で聖母の示現に接し、幻の中で幼きイエスを腕に抱いたという神秘体験の持ち主でもありました。学問はないけれども、学問ではなく、聖なる単純さによって碩学たちの尊敬を集め、その中には聖フィリッポ・ネリ、ミラノの聖カロロ・ボロメオもいました。
そんなフェリクスは今はローマの教会で聖者となって尊敬されています。テルミニ駅からもそう遠くはない、その名も「骸骨寺」。正式名称はサンタ・マリア・イマコラータとかいったかと思いますが、骨だらけの地下聖堂があまりにも有名なのでこう呼ばれております。もちろん行きましたとも(笑)。
日本人観光客も少なからず訪問するメジャーな観光スポットです。モザイク状態のホネ、ドクロのオブジェ、ホネでできたシャンデリア。あまりにもよく出来ているので薄気味悪いというよりは、おかしくなるくらいの光景です。入り口には「みなさんいらっしゃ~い、いずれあなたもこうなりますよ」みたいなことが書いてあったはずです。
さて、そんなお寺の入り口で入場料の小銭をかき集めている坊さん。ずーっと、地味な仕事をしてきて年を取ったのだろうなあ、ということが簡単に想像できるような素朴な爺様でした。日本人には「中絶反対」のビラみたいなものを渡してくれたりしますが(爆)、聖フェリクスのお墓に行きたい、といったら、そう驚いたふうでもなく、上の聖堂だよ、と教えてくれました。そして上の聖堂に行ったわけですが、観光客だらけの地下とは違ってだれもいない静かな空間でした。その左手の礼拝堂に、聖フェリクスの棺がありました。友人を待たせていたのでさっと数秒ひざまずいて祈ったその上に、この画像と同じ絵が掲げられていました。フェリクス、イタリア語ではフェリーチェ、そのままズバリ「幸福」という名にふさわしいいいお顔です。
下の聖堂に戻るとさっきの無愛想な爺さん修道士が売り物の聖フェリクスのご絵のカードを「持っていけ」と、やはりニコリともしないままでたくさんくれました。多分自分はこの爺さんに祈られたのだ、とわかりました。お愛想でないむき出しの好意が差し出されたカードを握った手に託されているのもわかりました。
もらったカードは何よりのローマ土産となりました。